
■ 大正焼
明治末期になると、盛業であった四日市萬古も不況に悩むことになった。これを新製品を開発することによって、打開しようと西洋の硬質陶器の研究がはじまった。日露戦争で現物を実現した水谷寅次郎[みずたにとらじろう]は、長年の苦闘の挙句、石炭窯による簡単な半磁器式特殊硬質陶器を産み出した。丁度、改元[かいげん]の時であったので「大正焼]として売り出し、大成功した。
■ 大正焼の開発と展開
明治末の萬古業界の不況を打開したいとの念願から水谷寅次郎が生み出した大正焼は、始めは、品質が悪く使用に堪えないものが出た。明治初年にやっと製品の安定をみたが、それまでの一五年間は、苦闘の連続であった。原料も当地より採掘の単味粘土[たんみねんど]から、各地から移入の調合原料となり、松割木を燃料とする登窯から石炭を燃料とする倒焔式[とうえんしき]の石炭窯に変わった。製品の販路は、爆発的に拡大した。 ■ 機械化の進展
成功した大正焼は、火鉢、水盤、大型土瓶[どびん]に特製を発揮した。土瓶は全国陶産地の第一位を占め、水盤は競争品なく独占的であった。急増した需要に応えるための量産には、製造工程の機械科が必須である。先ず美濃瀬戸から機械ロクロが移入され、石膏型使用による流し込み成型法、圧搾機[あっさくき]による製土、プレス機による匣鉢作[さやばちづく]りの法が取り入れられた。
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