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萬古焼の歴史 萬古焼の特性 萬古焼の製造工程
江戸時代.1江戸時代.2江戸時代.3明治時代大正時代昭和時代
萬古焼の始まり
■ 萬古焼の始まり
室町時代に、楽市楽座の自由商業都市として栄えた桑名の有力な回船問屋沼波家[ぬなみけ]は、陶器専属の問屋で、当時茶碗として有名だった伊勢天目[てんもく]を扱った。その沼波家が江戸時代に作り始めたのが萬古焼である。屋号の萬古屋から命名した「萬古」「萬古不易[ばんこふえき]」の名は、何時の世までも栄える優れた焼き物という意味であり、伝統は現在に受け継がれている。

■ 弄山[ろうざん]による開窯
沼波家の跡取りとして享保三年(一七一八)に生まれた五左衛門弄山[ろうざん]は、幼いころから茶道に精進した茶人で、その茶趣味が嵩じて朝日町小向[おぶけ]に萬古焼を開窯したのは元文年間(一七三四〜四〇)のことである。陶法は、京焼技法に習い、特に尾形乾山[おがたけんざん]に多くを学んだ。内外の茶碗の写し物をはじめ、華麗な色絵を主体とした優美な作品を生み出した。古萬古と呼ぶ。

■ 江戸進出
弄山[ろうざん]によって始まった萬古焼は、陶器問屋沼波家の今川橋詰にあった江戸店で売り出された。当時の焼き物の中にあって際立った斬新さの古萬古は、有産階級や知識人の間
で人気が上がり、遂に将軍家からの注文を受けることになると、江戸小梅の地に窯を設け、宝歴年間(一七五一〜六三)には、弄山夫婦も江戸に移った。これを江戸萬古という。

 

■ 紅毛趣味
はじめ有名茶陶の写しものから出発した古萬古は、上絵付けによる赤絵ものに特色を発揮した。当時は、八代将軍吉宗による洋書解禁の令によって、入ってきた蘭書による蘭学[らんがく]の広がりをみた時期があった。平賀源内を代表とする当時の知識人は、競って外国の文物に憧れていた。弄山も同様の知識人で、オランダや異国の風物を描いたり、作品の形に工夫を凝らした。

■ 赤絵の図柄
古萬古の優品は、上絵の具による赤絵ものに多い。図柄のベースは、更紗[さらさ]模様である。更紗とは、外国より入ってきた染物のことで、当時のファッションであった。更紗柄の中に支
那風景、麒麟[きりん]、飛龍などの想像の動物を描き、オランダの銅版画を写したライオン、象、オウムなどの絵やオランダ文字を配した作品もある。透明な絵具による異国情緒の世界だ。

■ 古萬古・銘印[めいいん]
古萬古は、「萬古[ばんこ]」「萬古不易[ばんこふえき]」の印を押したが、それは沼波家の屋号に俳聖芭蕉[ばしょう]の「不易流行」の考えを加味したものである。萬古印は、裸のものと小判型のものの大小があって、字体が微妙に異なる。全て楷書である。他に異形の篆書体[てんしょたい]のものがあり、茶陶[ちゃとう]の写し物に多く用いている。原則として、古萬古は有印であるが、中に無印のものも存在する。

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