
■ 萬古焼の再興
古萬古が後継者のないままに廃絶してから、三〇数年後、桑名の古物商森有節[ゆうせつ]、千秋[せんしゅう]の兄弟によって、古萬古ゆかりの朝日町小向[おぶけ]で再興された。手器用な兄弟の工芸的手腕を見込んで、弄山の子孫が勧めた為と伝えられる。兄の有節は木工を得意とし、弟の千秋は発明工夫の天才であった。兄弟の協力によって天保二年に築窯し翌年(一八三二)に開窯した。
■ 再興萬古の工夫
古萬古の時代に比べて、世情は大きく変わりつつあった。抹茶趣味に代わって煎茶が流行し、外国憧憬より国粋を尊ぶ国学が盛んとなった。それに応える為に、華麗な粉彩[ふんさい]による大和絵の絵付けと、煎茶に必要な急須を木型で成型する法を考案して、東海道の旅人の土産物として売り出した。その特異性は大人気となり繁盛した。桑名藩主はこれを保護奨励した。 ■ 木型成形法
急須作りに、有節は得意な木工の技を駆使して、提灯[ちょうちん]作りの木枠[きわく]からヒントを得た精巧な内型を作った。心棒と八枚に分解するこの型に、棒で伸ばした薄い土を貼り付けて成形する。型に刻まれた竜の紋様が急須の内面に現われる考案は、意表を衝くものであった。一ケ所でないと外れない蓋[ふた]、ぐるぐる回る蓋の摘[つま]み、取っ手の遊環[ゆうかん]などは千秋の考案である。 ■ 粉彩絵付[ふんさいえつ]け
尾張の画家田中訥言[たなかとうげん]の提唱した復古大和絵の妙手、帆山唯念[ほやまゆいねん]、(花乃舎[はなのや])が桑名にいた。花乃舎に学んだ兄弟は、大和絵の花鳥の絵を艶やかな粉彩絵の具で描いた。この絵の具は、不透明で、重ね塗りや盛絵ができる。そのベースは、白絵土[しらえづち]による白である。これに顔料を点[てん]じて各種の色彩をだす。中でも金を原料とする腥臙脂釉[しょうえんじゆう]のピンク色は、艶やかだ。 ■ 有節萬古・銘印[めいいん]
几帳面な有節は、自身で銘印を刻んだと伝えられる。素人ながら印は完璧である。古萬古の印を踏襲「萬古不易」丸型篆書[てんしょ]の「萬古」があるが、字体が優しい。普通の「萬古」印は、裸印は少なく、中型の小判印を多用し、「摘山[てきざん]」「有節]「萬古有節」があり
「日本有節」の印は、海外への発展を希求[ききゅう]したものだ。千秋には別種の印がある。
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